Sopranoに入ろうと思った切欠

0.もともと自分はこんなユーザーでした! 2004〜9年頃:学生から新社会人へ。そして就職難民に 私立大学を卒業後すぐにOA業界で新規開拓営業の仕事を始めるものの、サブプライムローン崩壊直後にリタイア。わずか半年の労働期間でした。それ以降も、分電盤に関する仕事や介護用のモーターベッドを納品する仕事、骨董品チラシのポスティング、コンビニ夜勤と、いろんな職場を転々としていました。しかし安定した仕事が中々見つからず・・・ そんな中、家でインターネットをする頻度はかなりのもので、当時はWindowsXPを使用していました。 いろんなブラウザがあると知ったのは大卒前で、がっつり触れようと思ったのはOA業界での仕事に失敗したあたりからでした。 引きこもることでブラウザの世界を知る 当時はDonutやSleipnirなどのブラウザを使用しており、あとは使うとしてもFirefoxくらいでした。そして、がっつり使うことはなかったものの、Operaは妙に異彩を放っているというか、他にない魅力があるなあと思っていました。 何でもかんでも出来て爆速!という訳でもないのに、使えば使うほど「え、こんなことできるの?」って思うことが多かったからだと思います。 ロゴも特徴的でしたね。他のブラウザは地球儀のアイコンだったりカラフルだったりするんですけど赤一色のOマークというシンプルな佇まいも魅力的でした。 2010〜12年頃:仕事はFirefox、プライベートはOpera 地元でWEBの仕事をすることになり、メインブラウザはFirefoxに。 WEB開発関係のことをしていて、条件的に最もピッタリだったFirefoxを使っていました。しかしプライベートではOperaを使ってました。 この頃はMy Operaというコミュニティがあり、友人数は決して多くありませんでしたが、唐突に60台のドイツ人の男性と夜な夜なUbuntuのことで英語で熱く語り合ったり、このコミュニティでしか出来ない体験もありました。 Firefoxを使っていても、スピードダイヤルとかマウスジェスチャーとか、何でも一元管理できるサイドバーといった拡張機能をつけてOperaっぽい使いかたに近づけていました。 その為か、Chromeはあまり使うことは無かったです。GoogleDriveを仕事でよく使うようになってからは、さすがにちょっと使用頻度も増えましたが・・・。 そういえばこの頃は、今はなきSNSでノベルゲームの創作なんかもしてました。当時の作品は消滅してしまいましたが、原稿は手元にあるのでまた時間ができたらティラノビルダーとかで作ってみようかなと思っています。 2013〜14年頃:Opera15登場 OpreaはこれまでのPrestoエンジンではなく、新しくChromiumエンジンのブラウザとしてリスタートしました。 しかしOpera12で使えた色んなことが出来なくなっており、ページ読み込み自体は早いものの、正直どうコメントしたものか分かりませんでした。 バージョン17あたりでブックマークが使えるようになってきて、一通り欲しいものは揃ったかな・・・?という感じでしたが、今度はMyOperaが閉鎖されることに。 Vivaldi.net(Vivaldiコミュニティー)との出会い そんなとき、MyOpera代替サービスがあるとのニュースをOperaのニュース機能で発見! Opera創業者のテッツナー氏、3月終了の「My Opera」代替サービスを立ち上げ│IT Media News http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1401/24/news083.html さっそくユーザー登録してサインイン。 ちなみにMyOperaに当時いたドイツ人の男性は見つかりませんでした・・・(笑) ものすごく距離の近い創設者のお二人。 ユーザー一覧を見ると、Jon von Tetzchnerという人がオンラインでいらっしゃったので早速メッセージを送りました。 内容としてはコミュニティを作ってくれたお礼と、まだメニューの多くが英語だったため日本語化を手伝わせてくれませんか?といったものです。 … Read more